prhysm

きらきらと音を奏でるように光って

いつもきみのそばにいる

枯れヲタの駄文に緑のお星様ありがとうございます。とても嬉しいのですが枯れ具合は進むばかりなのが残念です。
じゃんぷにおかれましては香港お疲れ様でした。大成功だったようでおめでとうございました。まるで地球の裏側で起こっているかのように感じられる程他人行儀に見つめているじぶんがいたわけですが、感情を揺さぶられなくなったらヲタクという生き物はつくづく終焉を迎えるのだなあと日々感じています。終焉を迎える予兆はありつつもじぶんで何かを決断するということを今しようとは思っていません。それすら面倒なので、という理由からですw
こんなわたしが涼くん担を名乗ることは同担におかれましてはゆゆしきことかと存じますが、まあ他人の感情の揺れ動きなんてどうでも良いもんだと適当に放っておいていただければありがたく存じます。嫌いになるのと興味がなくなるのとどっちが悲しいことなんでしょうか。興味ある対象が他に移ってしまった以上は、これも仕方のないことですが、今のこの気持ちの距離感、個人的には嫌いじゃないです。いつも新米ヲタのような初々しい気持ちを持ち続けていたいと思っていましたが、それは向かう対象が涼くんしかいなかったからで、他に気持ちが向かう対象が出来てしまった以上はそんな感情すら消えてしまったというのが正直なところです。ですが、だからこそ落ち着いてのんびりと見つめていられることが今は心地よく感じています。ただ、こんなにまったりしてしまった以上、このダイアリにしたためる情熱ももうなくなってしまったんじゃないかい?wという不安が残るわけですが、なんだか自担及び自ユニへの気持ちは薄まっていくのに反比例するかのように夏はあっちへもこっちへも行きたいと思ってしまっているというw帝劇も楽しみにしてるし、まあダイアリはぼちぼち更新していければなーと思ってます。

さて、枯れヲタのわたしですが相変わらず日々のBGMはCHAINだったりします。
3月のドーム3daysから、カツンへの、そして和也くんへのときめきが醒めません。やっぱりわたしの帰るべき、というか本来あるべきはK担という肩書きであったのかもしれません。だけど出戻りするつもりはあまりないです。というのもわたしが涼くんに降りる覚悟をしたときに既に和也くんとは(一方的に)一生付き合っていくだろうなという思いがあったからです。

当時のブログの降りる報告をしたエントリから以下抜粋。

涼介くんに惹かれていく気持ちはどうしても止められない一方で、和也くんのことはもうそれこそ例えるなら結婚して3年目みたいな感じで(笑)、安心して見ていられる自分がいたことは事実で。何かきっかけが欲しいってずっと探してました。だけど、昨日オリスタ買ってアルバムを聴いてってしてるうちに悟ったんですよね。もう一生わたしは亀梨和也から離れることはない、ってこと。これと同じ感覚をわたしは過去に経験してたことを思い出したの。2005年の10月、そう、和也くんに堕ちたときのこと。あのとき、わたしはfutari担だったけど和也くんに惹かれてく自分をどうにも止めることができなくて気持ちが溢れ出してしまいそうな毎日を送ってました。だけどfutariはずっと変わらない大好きな存在として特別な人たちで在り続けてる。
わたしは今、今まで見てきた中でいちばん、今この瞬間のロクーンが好き!って言えるから、だからこそ今このタイミングなんじゃないのって思った。これからもこの気持ちは変わることはないと悟ったから、もう担当じゃなくたって大丈夫だ、って思ったのです。

この気持ちが1ミリもブレずに今もわたしの心に存在しています。降りたときと今ではカツンを取り巻く状況は変わったし、変わっていく中で気持ちが揺れ動きはしましたが、ちゃんと揺れる前の地点に戻ってこれた。そして今のカツンが大好きだと、わたしは胸を張っていえます。今のこの気持ちにわざわざ肩書きは必要ないかなって思うんですよね…。だってもう、生活の一部なんだもん。和也くんを、カツンを追いかけることが。だから何を自分の中で変えることもなく、あるがままに過ごしていれば良いかなと。茶の間になったというよりかは『ヲタクとしてこうするべき!こうあるべき!』というような縛りかな開放されたという感覚でいます。人として、飲みたいときに飲みたいものを選ぶように、紅茶の気分もあればコーヒーの気分もあればいやいや今はスポーツドリンクが欲しいというように、しばらくは気ままに枯れヲタとしてやっていきます。