prhysm

きらきらと音を奏でるように光って

二人歩き出そう、等身大の未来へ

チェインコンDVDを見ながら気ままに書きます。



気がついたら3月になっていて、気がついたらチェインコン京セラ3daysからちょうど1年が経っていて、時間の流れに一瞬目がくらみそうになりながら電車から流れる風景に目をやる自宅への帰宅までの道のりの中、耳元に流れるカトゥーンシャッフルに設定したウォークマンからは6人の声と5人の声が織り交ざって流れてきてわたしの胸は苦しかったです。
昨日のえむすてで中居くんが「森くん、」と連呼していて、中居くんが6人のすまぷ担なひとなのはなんとなく把握していたのであまり驚くことはなかったのですが、それに追随するようにじんくんを重ねて、ロクーンを重ねて物々と言うひとたちの声が嫌でも目に入ってきてなんとも言えない気持ちになりました。
過去も現在目に映るカトゥーンもどれもわたしにとっては大切でかけがえのない存在です。それが全てです。
わたしが凍っていた時間を前に進めようと思えたのは5人が6人の作ってきたものをなかったことにしようとするのではなくてそれまで作ってきたものを踏みしめてさらに前へ進もうとそれまで以上に両手を精一杯伸ばそうとしていると感じたからだよ。一緒に進んでいきたいと思った。彼らがカトゥーンという船を前進させようとしているのを見て、そんな5人を心からかっこいいと思ったんだ。過去を否定することからは意味のある未来は生まれないよね。生きていく上で大切なことを体現してくれている今のカトゥーンは本当にかっこよくて、でもかっこいいだけじゃなくてわたしは同世代としてすごく励まされてる。憧れているのでもなく、母性が生まれるというのでもなく、同世代ゆえの一緒にがんばろーねっていう感覚。おそらくわたしがカトゥーンから離れられないのはたぶんこの理由が大きいんだろうなと思ってて、だからたぶんこれからもずっとわたしはカトゥーンという船が進んでいくのをそばで感じながらじぶんの人生を進めていくんだと思います。
条件反射でロクーンの曲が耳元に流れてくると胸が苦しくなる。切なくなる。だけどこの切なさを感じられるのは今もじんくんを大切で特別な存在だと思っている証拠だから、逆にこの感情が風化してしまうことのほうが恐怖だね。けどこんなことをふと考えてしまわないといけなくなってしまった今という未来は幸せなのかな、それでもわたしはきっと6人に出会ったらすきにならないではいられなかったんだろうけれど。知らなきゃ良かったとかすきにならなくてすんだのに、とかは絶対絶対思えないからなあ><