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きらきらと音を奏でるように光って

客席は私のステージ

幼い子供の頃から宝塚の舞台を観ることを趣味にしていると人に言うと、大抵こう言われる。

「自分も入ろうって思わなかったの?」

その言葉を聞くたび、わたしは「またか」と思いながら笑顔を作ってその問いを吹き飛ばす。
バレエ習ってなかったんですよ〜、とか、他に将来の夢ありましたからね、とか、これまでたくさんの理由を作ってその問いに答えてきた。

なんで好きだと言っただけでその世界の住人になりたいという感情に誰もがなると結びつけるんだろう。
ずっと、重荷だった。
好きなだけでは赦されないのかと。

わたしのごまかし続けた答えの奥にある本当の答えはこうだ。

『「舞台に立ちたい」と思うことはまずそれが才能のひとつだとわたしは思ってる。わたしにはそれが最初からなかっただけ』

わたしが中高生の頃から20代に入ってすぐの頃までのいちばんの青春時代を捧げた元トップスターの女優さんは入団を志したきっかけが『初めて劇場で観劇したとき、「なんで私は舞台に今立ってないんだろう。なんで客席に座っているんだろう」と思った』ことだと言う。
選ばれた人なのだ。『入りたい』『舞台に立ちたい』『あっちの世界(ステージ)の人になりたい』と思えることはまずその感情が芽生えることそのことがとてもとても尊くて素晴らしいことで才能のひとつなのだ。
それが、どんなに奇跡のようなことなのかに思いもはせずにまるで昨日の朝何食べた?ぐらいの気軽な気持ちで子供の頃からあの華やかな舞台を目の当たりにしていたら誰しもがその住人になりたいと思うに違いないとどうして思うのだろうか。

自分には芽生えることのなかった感情。
人に問われるたび、重荷のように、枷のように、のしかかっていた感情。

才能がないのだ。わたしには。
「あの舞台に立ちたい」と思う才能さえ、なかったのだ。




大人になってから、その思いを抱えながら生きてきたわたしに、救いの手をさしのべてくれたのはわたしが愛した、わたしの命と呼んでも過言ではない、宝塚の舞台そのものだった。

今から4年前の2017年9月1日、わたしは大劇場の客席にいた。
9月1日は宝塚歌劇団にとっては代名詞とも言える、レビューが上演され始めた大切な記念日だ。
2017年はレビューが上演されるようになって90周年の節目だったため、公演終了後に出演者で「レビュー記念日讃歌」を歌うカーテンコールイベントが催された。
わたしにとっては中学生の頃から聴き続けた曲だった。

客席で出演者とともに生のオーケストラ音楽に合わせてレビュー記念日讃歌を歌う。もちろん、声には出さずに心の中で。

レビュー レビュー 素敵なレビュー
レビュー レビュー 心がもえる
レビュー レビュー 今日は記念日 みんなで祝おう

目の前の舞台では大好きなスターさんたちが立ち並び、わたしはそのスターさんたちと同じように頭の中におさめられたメロディーと歌詞をするすると紡ぐことができている

いっしょに歌えている。いっしょに笑顔になれている。いっしょにしあわせな気持ちになれている。

客席側にいて舞台の上の人に拍手を送るよろこび。
劇場という場で空間を、感情を、2500人の客席とステージの上に立つ人たちとみんなで共有できる感覚。

それまでも観劇という趣味を通して味わってきた醍醐味だったけれど、レビュー記念日讃歌を客席で共有できたこの日の出来事は深く心に残っている。
その日以来、客席に座り拍手を送り舞台の上に感謝の気持ちを届けたいという思いがいっそう強く芽生えるようになっていった。

劇場へ向かう道すがら生きている実感に胸が高鳴る。
観劇しているときだけが「わたし」が生きていると感じられる瞬間。
毎日しゃかりきに仕事して、ごはんを食べて、眠る。日常はすべて、劇場で「わたしがただわたしとして在るため」。
客席に座ったとき、わたしはすべてから解き放たれて、自由になる。
社会人とか、大人とか、そういうレッテルを身ぐるみ剥がしてただ「わたし」でいられる。
子供の頃となにひとつ変わらない。

人は老いると子供に返ったようになるなと思う瞬間があるけれど、子供とはつまり「あるがままでいられる」ことなのかなと思う。
中学生の頃から変わらない、わたしの将来のゆめは「自分の足で歩いて劇場へ通うおばあちゃんになること」。
杖をついてでも、劇場へ行き、客席へ座っていられるおばあちゃんになりたい。
そのときのわたしはたとえ手がしわくちゃだったとしても髪がグレーになっていたとしても初めてあのひかりに溢れたステージを見た幼い娘のままの心でいられるはずだと確信している。

いのち果てるそのときまで、客席こそがわたしのいのちが燃えて輝き、最も華やぐステージであり続けるだろう。