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きらきらと音を奏でるように光って

18歳のむーんらいと

15歳のむーんらいとを見たのが初めて見た涼くんのソロパフォーマンスでした。ツアー初回だったからむーんらいと初披露だった、んだと思います。わたしにとってアイドルとしての涼くんのイメージの原点でもあるわけです。見たときの印象を以前のブログにわたしは確か、『なんてあかにしじんくん!っていう演出でなんてかめなしかずやくん!っていう曲を歌ってるんだこのこは!』みたいなことを書いたんだと思います。とにかくかつんのバックで育ったこなんだなあという印象を抜群に受けたわけです。18歳のむーんらいとは15歳のそれとは全く変わったものになっていたはずなのに、印象として受けたのは『目指せこーいちくん!であろうものなのだろうけど消せないじんぴー臭』でした。演出の方向性としてはこーたむとじんくんとぴーちゃんを足して割ったような印象を受けたのです。良いとか悪いとかいう批評をしているわけではないので悪しからず。とにかく涼くんがバックで学んできた、見てきたのはじんくんでありぴーちゃんであり、かつんであり、にゅーすさんなんだなあ。というのが結論としてあります。どんなにこーたむに憧れていてもやはり遠い憧れと見て学べるものには隔たりがあり、憧れに近づくためには近い目標を見て吸収していかねばなりません。涼くんはそういった方程式にとても忠実に育ったこだな、と、ただただ、そう思います。素直ですよね。それがじぶんがメインになったときここまでれっきとして表現されてしまうところが、良くも悪くも「山/田/涼/介」というアイドルなんだと思います。
新しいものを作ることに長けているひともいれば、伝統を継承する運命を背負うひともいます。涼くんは後者のタイプのアイドルなんだと思います。だとしたら、伝統を受け継ぎながら、如何に「山/田/涼/介」の個性を育んでいくかが涼くんの今後の課題になっていくかもしれません。涼くんは周りから見て学ぶことがとても上手なひとだけど独創性には恵まれてないような気がします。それはあまりにこー担すぎるのも原因のひとつだと思っています。こー担でいてくれることはとても嬉しいんだけど、割と涼くんの中でこーたむの姿が目標として固定されすぎている懸念があるのは事実で。独自性を築くためには、個性を自分で見つけて、どう生かしていくべきかを考えていかないといけないよね。まだそのステップまで辿り付けてないんじゃないかなあ、という気がします。涼くんだけじゃなくて、じゃんぷみんなね。大人たちから与えられたものをこなしてきた4年間がそういう意識を助長しているような気もするんだけどいつかそういう時間にも終わりがきて自分で考えてみろって言われたときあのこは、あのこたちはどういう選択をしていくのかなあ。これからのじゃんぷを見ていく中で、そういった視点を持ちながらゆるゆるとをたくしていたいです。

まあこんだけ書いておいて何なんですけど、こーたむ臭がしようがじんぴー臭がしようが18歳のむーんらいとすごくすごくすごくかっこよかったです。お正月に見れるって期待して待ってていいですか?>涼くん!

久しぶりに涼くんごとをバーッと書いた。ここんとこ涼くんをすきな気持ちをもつわたしがわたしのなかですごく遠くに逃げてしまっていたけど、涼くんが呼んだらすぐ帰ってきてくれた。大丈夫、涼くんはまだわたしを離してくれない涼くんです。良かった。だいすきだよー!